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![]() 何事も包み隠さず、をモットーにしている家族の、それぞれが抱える秘密が、それぞれの目線から語られ明らかになっていく。 「この男は透明のコップみたいなもので、表面にどんな細工をしても中身はすべて透けて見える。」と浮気相手の一回りもしたの女から思われる夫は、「すぐさまあたしとエッチができると祭壇してやにさがっているコップ男」と思い切られ、結局家族の妻や義母の目線からもコップ男の域を脱し得ない。たとえの表現が、やはり角田光代さんは上手で引き込まれる。 文体は明るいが、私は「対岸の彼女」の読後感に感じた爽やかさを感じなかった。どんなに文体が明るくても、あまりに暗い小説で、読み終わるとドッと気持ちが沈んだ。表面を取り繕っている 家族が裸になっていく様があまりに暗く残酷でもある。その暗さの核は、やはり、母と娘の間が明らかになっていくところだろうか。この小説の中に出てくる祖母とその娘(小説の中では母)の関係や祖母の過去なんかは、「地上八階の海」と重なる。 屋根が吹っ飛ぶとか、そういう回想シーンも、同じだった。 ![]() 角田光代さんにはまって、立て続けに彼女の作品を読んでいる。 「地上八階の海」、これもモルディブで読んだ。再度読み返してみる。 昔自分の背後に残した残照・・・角田光代さんの感性の鋭さを思うと、普通に生活もしていける彼女はすごいなぁと思う。小説を書くのは苦しい作業ではないのだろうか、と。 ![]() ともに30代、同じ大学を出た女性二人。ひとりは子育て中の主婦、もうひとりは傾きかけた小さな会社を経営する社長。 私もこのごろ感じる。大人になると、友達を作るのって案外難しい。高校時代の友人同士でさえ、昔のままの関係ではいられなくなる。結婚し育児に励む友人と会っても感じる違和感。それを同時に向こうも感じているはずだ。この距離はいったい何なのだ?と思う。切実に。 最近分かったこと。心に引っかかる距離を年々感じる。クラスメートだった女友達の半分はすでに結婚し、子どもを育てている。独身組み、既婚組み、そんな枠が出来上がって、いつしか飲み会に子育て中の友人は呼べない遠慮という感覚が必然的に生まれる。それは、呼んだところで、来られない状況に彼女たちが置かれているだろう、という幾度かの過去の経験上の結論からだ。男だったら、こんなことないのに、と、ちょっと寂しい。高校時代の友人、という部分も、有る意味でキーワードかもしれない。高校時代、私たちは中学から続く受験戦争のレールにいた。大人になっても変わらず残るライバル心、そんなものがあるように思えてならない。成果主義の産物は、30になった私たちの心をも支配するの?と思うと悲しいけれど。30で大学院進学、私の決めた道を応援してくれる友人がいる一方で、そうでない友人もいることを実感する。ライバル心がなければ、素直におめでとう、といってくれるのではないか、というのは私の単純な妄想だろうか。小さな町の高校でともに3年を過ごし、いつまでも変わらずいられると思っていた10代、やがて時が流れる中で、生き方の違いを認め合うことは、案外にも難しいのかもしれない。 一方で、もっと後の年齢で出会った協力隊時代に知り合った友人たちは、一同に心から私の大学院進学を喜んでくれた。年齢なんて関係ない、何をするにしても、学び向上していくことを応援しあえる、そんな仲間なのかもしれない。既婚組みで知り合った女性には、子育てをしながらも、海外を飛び回って奮闘している人がなぜか多い。だから、自分がしたいことを追求していることに、何の遠慮もしなくていいし、分かり合えるのかもしれない。 この小説が語っていること。夢を追って働いている女には、子どもを産み育てている女の素晴しさを分かりながらも、心のどこかでは、自分にあんな大変な育児なんてできないし、したくない、そんな冷めた気持ちもある。独身の身は時に寂しい。だから、一人ではない、子どもという大きな存在を得て、すでに一人になる危機から脱した女に対する隠された羨ましさ、羨望、時に妬みもあるだろう。 でも、逆に、子どもを育てている女からしてみると、そう思われることは耐え難いかもしれない。 子育てをしているからこそ感じる孤独感、社会から距離を置き、目の前の子どもを育てることにはマイナスをゼロに戻す作業のなんと多いことか。泣いた子どもをあやし、汚れたオムツを代え、夫が食べ残していった食器をゼロの状態、つまり、洗いきれいにすること。すべてが、ゼロからプラスというよりは、マイナスになったものをゼロに戻す作業だ。子育ての中にあって、子どもが自己の混沌とした感情と格闘する年齢では、母親はカナキリ声を上げて泣き叫ぶ子どもと付き合いながら、自分自身が社会で遣り残したことを思うかもしれないし、向上心のある女性なら誰しもがそうであるように、不安や焦燥感を抱えるにちがいない。核家族が一般化した現在の社会では、子育ては時に孤独な戦いであって、孤独さは母親を蝕むのも事実である。生を育むという大きな仕事は何にも変えがたい。だが子育てに対して、主婦の役割の重さに対して、周囲からの理解を得にくい社会に私たちがいることも事実だ。 そんな社会だからなのだろうか。 キャリアウーマンの女性の子育てを支援する運動が、同じ女である主婦たちから反対を受けたことがあった。一番子どもが母親を必要としている時期に、仕事に没頭するのは理解できない、そんな衝突が女同士の中であり、またキャリア組の女性は、社会で自分の生活の足を引っ張るのは、結局のところ、自分と同じ女だった、ということに気づかされた出来事だったという。 私は思う、独身で自分の好きな勉強だけをしている私の恋愛の話を、結婚生活に落ち着き、あるいは子育てに全身全霊で奮闘している友人が聞いたところで、それは本当のところは、耐え難いつまらなさだろう、と。 たとえ、互いの立場が変わったとしても、どちらかが妻になり母になったとしても、変わらない友情というのは、互いに尊重し合い、認め合い、互いの人間というものが「好き」ならば、自然とできるものだ。あやふやな友情関係なら、そうした立場の変化で、いとも簡単に消滅するだろうけれど。 そんな友人がいるだろうか、と思うとき、少なくとも私には、心許せ、互いの人生の出来事について、心から感じあい遠慮なく話せる、立場は違うけれど、根本の個の立場に揺るぎのない、ママになった素敵な友人がいることを想い、ほっとするのである。 ![]() 最初に読んだのは、1年半ほど前、モルディブにいたときだった。 強烈な印象で私の中に残ったのは、自分もまた、日本を離れ、異邦人であって、放浪者であった感覚からか。行き先の不透明な危うさと若さ、自分の立つ地べたがぐらついている。過去の残照の兄を追う主人公の姿。この小説が角田光代さんの作品で初めて読んだものだった。もう一度読み返してみたい、そう思う小説。
幾重にも重なる山間(やまあい)の先に
小さな希望があるのだとすれば その山々が聳え立ち 織り成す影の なんと美しいことか 山々の立ちはだかりが その影の裏側の光を 輝かせているようで 私は一歩を踏み出す衝動に 飲まれた
今年60になる母が、水泳のインストラクターの仕事の面接に行くという
体育大学を出ているわけでもなく、趣味で泳ぎをしているだけで 年齢だって60になるのだから 私は仰天した 面接に行ってすぐに「採用されたよ!」と携帯電話にメールが届く。 天晴れ、脱帽です 「70歳代になっても、ぜひうちで働いてください」と言われたと、彼女は目を輝かせて帰ってきた 何事も年のせいにせず、落ち込んでもプラスに変えてきた彼女のエネルギーに 私はただ感嘆し、自分もがんばろう、そう思う。 私は昨年、後ろを振り向きクヨクヨしっぱなしだった 自分を大切にできず 失ったものを後悔し ああすればよかったのだとか こうすればよかったのだと 思い悩み 足踏みばかり そんな私を黙って母は見ていてくれた でも 吹っ切れる瞬間があった ひとつのことに執着しないことを 学んだ いつどんなときでも、幸せになってやる! そう心に決め、少しずつ立ち直っていく間、私は思った 失敗や後悔は 次の自分のプラスになるためにある だから 同じ失敗を繰り返さない 自分を省み、相手を責めない ただでは起きない 笑顔を忘れない 別れを憎まない それが教えてくれたことを大切にする そして、最高の誰にも負けない出会いが、この先に待っている、と、そう信じてみる 別れがあるから出会いがある 失敗は、この先に待っている出会いをもっといいものにしてくれるはず そうして、力を抜いた年明けに、自然と出会いはやってきた 偶然の連続で 天国の祖母タチがくれた出会い なんでも、前向きに考えれば いいことがおきるって 本当だとおもう この縁を大切に育てていきたい おばあちゃん、守ってくれてありがとう
今日、テレビを見てたら、消防士さんが火事の現場で
「なんとか、鎮圧しました」 と誇らしげに言っていた。 カッコいいんだけど・・・チンアツ???な、なにをチンアツしたの・・・そこは暴動現場か??? それいうなら、「鎮火」だよぉ~。 それで、突然のように思い出した。 昔、ロンドンにいた頃、女友達数人で昼食を食べていたとき、私の親友が 「日本人の男はキン○○が小さいよね~!」と大声で言ったことを。。。。 聞いていた私たちは瞬時にそれぞれ、無言に、頭の中を整理した。 彼女のボーイフレンドはフランス人・・・だから・・・本当にキン○○の話をしてるのか? いや、、、いや何かが違う・・・ 友人A「えっと・・・いや、それ言うなら、肝っ玉が小さい、でしょ?」 友人B「そうそう、それがたとえ真実だったとしても、その場合は『肝っ玉』よねぇー」 と、なんとか、彼女を「鎮圧」(あるいは鎮火か?)し、その後、一同大爆笑となった。 周囲は日本語を解さないイギリスだったから、ほんとに日本のカフェとかじゃなくて良かったねーとみんなで安堵した。 言い間違えって怖い。。。 でもそのルーツは「天然ボケ」かもしれない。 世の中を丸くしてくれる天然ボケに、、、ばんざ~い
コトバが発したいのに、何も表現できなかったら・・・
どんなキモチだろう、 よくそんなことを考えます。 今、言語発達遅滞に関する書籍を集中的に読んでいます。 生まれたときから自然としてきたコトバの発達が、実は非常に困難で苦しんでいる人たちがいることを知って、 もし、今のこの気持ちを何も外側に表現できなかったら・・・ と考えると、どれだけ苦しいだろうか、あるいは、疎外感や孤独感を感じるだろうか、と思います。 赤ん坊のころからそのハンディを持っていれば、自由に意思を表現できる状態を知らないのだから、その苦しさが、「言葉で相手に気持ちを伝えられない」ことからくる苦しさである、と明確に自覚していない場合もあるでしょう。自分の中で収集できない、出所が分からない怒りや苛立ちを抱え、周囲の大人に暴力的に当たり散らすケースもあるそうです。周囲への意思疎通を絵などの代替コミュニケーションによって定着させたことで、そうしたヒステリックな症状が治まったケースもあるそうです。 あるいは、また、自分と他者が「共感」するという、コミュニケーションの原点から、障害のある場合、その「共感」を獲得してもらうことが、言葉の発達の前段階として必要なことだそうです。 動いている車を見て、母親の目を見て、車をまた見る。その子供の視線の先を、母親が追い、「ブーブー走ってるねー」と母親が語りかける。その語りかけに、うん、と子供が答えるとき、子供も母親も、心が通い合う「共感」「愛情」を感じるから、言葉で更にコミュニケーションしたいと思う。このように、ことばを交わすとき、会話に参加している人たちが、同じ対象に注意を向けることを「共同注意」と呼びますが、視覚的共同注意の能力は、生後6ヶ月前からみられ、自分・他社・物の「三項関係」が成立する「共同注意」は生後6ヶ月ごろから始まるそうです。 視線によって生まれる共感、ことばなんていらないくらい愛情を感じる瞬間って、恋愛でも、そういうときだなぁと思います。男と女は、長く夫婦していても、言葉できちんとコミュニケーションしないと相手のことが分からないと言いますが、恋愛初期の有無を言わさず好きな時期って、なんだか視線だけで共感して、深い愛情を感じ、「この人だわ!」と想っちゃう、みたいなこともあります。 ちょっと脱線しましたが・・・ 共感、叙述、欲求、質問、応答、命名欲求 この発達の指標のもうひとつに、視線による共同注意の出現以外に、「指さし」があるそうです。指差しは生後11ヶ月ごろに増加傾向が見られ、15ヶ月ごろにはさらに増加するとのこと。ことばによるコミュニケーションの発達に反比例するように、生後21ヶ月ごろには、指さしは減少へと向かいます。 相手に伝えたい、自分に注意を向けて欲しい、そうした欲求が指さしを発達させ、やがてことばによるコミュニケーションで意思を表示できるようになると、指さしは不要になっていく。 欲求を伝えられない、共感を伝えられない苦しさは、どれほどのものかと思います。 外国に行って、外国語ができないがために感じる、疎外感なら、私も経験があります。しかし、障害があるがために、うまく音を作れなかったり、あるいは四肢の障害による運動能力発達の遅れで言語にも遅れが出て、しかも周囲にその理解への糸口を掴む人がいない場合には、母語からの躓きとなり、他者との共感関係を確立する手段を持たないという、大変なハンディです。 少しでもコミュニケーションへの糸口への助けができたら、そんな想いで言語障害学の独学を去年の9月からはじめました。言語障害や発達心理学に関して、専門的に教授してくださる方が傍にいないのは大変ですが、なんとか独学で、今年、何らかの形で、自分にもその方面への社会参加ができたら。 今年の目標。 ![]() やっぱり日本の正月はいいです。 年が明けた!という感じがします。 そして、御節が美味しい。 今年一年が実りある年でありますように。
17年前うちに5匹の猫が生まれた
そのうちの一匹を我が家に残し育て、気づけば17年が過ぎていた 11月の晴天が続き 忍び寄る死と戦い続ける猫を 私は暖かなカーペットに抱き寄せ 苦しみを共有できたら、と願った テレビでは紀宮様の結婚式の会見が始まっていた 彼を胸に抱きしめて、さよなら、ありがとう、と号泣した それから10日ほどして、ひとつの電話を受け取った 「あのぉ、ねこちゃんをいただいて・・・」 突然の電話に意味が分からなく混乱しながらも、 「17年前のことですか?」と聞き返すと、はい、そうです、という 「あのとき、お宅から頂いた猫ちゃんが、昨日亡くなったんです。それでお電話を・・・」 あぁ、そうですか、そう答えながら、涙声になっている電話の先に、我が家からもらわれていった猫が幸せな一生であったことを知り、言い表せぬ感情が沸き起こる ほんとうに、ありがとうございました、そう繰り返し、兄弟で、11月の空へ上ったのですね、そういって、17年前、我が家で生まれ、その人にもらわれていった子猫の姿がよみがえった 「うちの息子、もう26になるんですけど・・・猫が死んでいくとき、あんなにあの子が大声を立てて泣いたの、母親の私ですらはじめて見たので、なんだか息子が気の毒になるほどで・・・。本当にいい猫でした」 こんなに広い世界なのに、同じ日に生まれて 同じ月に生を終えた兄弟。 突然の電話に、私は深い安心感すら覚えた、よかった、兄弟で同じ頃に生を終えたなら、きっとお空で一人ぼっちじゃないだろうし 迷わずにいるだろう、と 母猫はまだ生きています、そういうと、電話口のうしろで、娘さんと息子さんであろう、歓声に近い声があがり、「お母さんはまだ生きているんだって!」と聞こえてくる それから数日して、我が家のポストに、小さな爪の遺骨と少しの白くふわふわな毛が届いた おかえりなさい 手の平にのる小さな命の跡に 17年の歳月が満ちていた
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