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何事も包み隠さず、をモットーにしている家族の、それぞれが抱える秘密が、それぞれの目線から語られ明らかになっていく。 「この男は透明のコップみたいなもので、表面にどんな細工をしても中身はすべて透けて見える。」と浮気相手の一回りもしたの女から思われる夫は、「すぐさまあたしとエッチができると祭壇してやにさがっているコップ男」と思い切られ、結局家族の妻や義母の目線からもコップ男の域を脱し得ない。たとえの表現が、やはり角田光代さんは上手で引き込まれる。 文体は明るいが、私は「対岸の彼女」の読後感に感じた爽やかさを感じなかった。どんなに文体が明るくても、あまりに暗い小説で、読み終わるとドッと気持ちが沈んだ。表面を取り繕っている 家族が裸になっていく様があまりに暗く残酷でもある。その暗さの核は、やはり、母と娘の間が明らかになっていくところだろうか。この小説の中に出てくる祖母とその娘(小説の中では母)の関係や祖母の過去なんかは、「地上八階の海」と重なる。 屋根が吹っ飛ぶとか、そういう回想シーンも、同じだった。 #
by miraclemichi
| 2006-03-15 12:39
| lecture (読書)
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by miraclemichi
| 2006-03-14 12:09
| lecture (読書)
ともに30代、同じ大学を出た女性二人。ひとりは子育て中の主婦、もうひとりは傾きかけた小さな会社を経営する社長。 私もこのごろ感じる。大人になると、友達を作るのって案外難しい。高校時代の友人同士でさえ、昔のままの関係ではいられなくなる。結婚し育児に励む友人と会っても感じる違和感。それを同時に向こうも感じているはずだ。この距離はいったい何なのだ?と思う。切実に。 最近分かったこと。心に引っかかる距離を年々感じる。クラスメートだった女友達の半分はすでに結婚し、子どもを育てている。独身組み、既婚組み、そんな枠が出来上がって、いつしか飲み会に子育て中の友人は呼べない遠慮という感覚が必然的に生まれる。それは、呼んだところで、来られない状況に彼女たちが置かれているだろう、という幾度かの過去の経験上の結論からだ。男だったら、こんなことないのに、と、ちょっと寂しい。高校時代の友人、という部分も、有る意味でキーワードかもしれない。高校時代、私たちは中学から続く受験戦争のレールにいた。大人になっても変わらず残るライバル心、そんなものがあるように思えてならない。成果主義の産物は、30になった私たちの心をも支配するの?と思うと悲しいけれど。30で大学院進学、私の決めた道を応援してくれる友人がいる一方で、そうでない友人もいることを実感する。ライバル心がなければ、素直におめでとう、といってくれるのではないか、というのは私の単純な妄想だろうか。小さな町の高校でともに3年を過ごし、いつまでも変わらずいられると思っていた10代、やがて時が流れる中で、生き方の違いを認め合うことは、案外にも難しいのかもしれない。 一方で、もっと後の年齢で出会った協力隊時代に知り合った友人たちは、一同に心から私の大学院進学を喜んでくれた。年齢なんて関係ない、何をするにしても、学び向上していくことを応援しあえる、そんな仲間なのかもしれない。既婚組みで知り合った女性には、子育てをしながらも、海外を飛び回って奮闘している人がなぜか多い。だから、自分がしたいことを追求していることに、何の遠慮もしなくていいし、分かり合えるのかもしれない。 この小説が語っていること。夢を追って働いている女には、子どもを産み育てている女の素晴しさを分かりながらも、心のどこかでは、自分にあんな大変な育児なんてできないし、したくない、そんな冷めた気持ちもある。独身の身は時に寂しい。だから、一人ではない、子どもという大きな存在を得て、すでに一人になる危機から脱した女に対する隠された羨ましさ、羨望、時に妬みもあるだろう。 でも、逆に、子どもを育てている女からしてみると、そう思われることは耐え難いかもしれない。 子育てをしているからこそ感じる孤独感、社会から距離を置き、目の前の子どもを育てることにはマイナスをゼロに戻す作業のなんと多いことか。泣いた子どもをあやし、汚れたオムツを代え、夫が食べ残していった食器をゼロの状態、つまり、洗いきれいにすること。すべてが、ゼロからプラスというよりは、マイナスになったものをゼロに戻す作業だ。子育ての中にあって、子どもが自己の混沌とした感情と格闘する年齢では、母親はカナキリ声を上げて泣き叫ぶ子どもと付き合いながら、自分自身が社会で遣り残したことを思うかもしれないし、向上心のある女性なら誰しもがそうであるように、不安や焦燥感を抱えるにちがいない。核家族が一般化した現在の社会では、子育ては時に孤独な戦いであって、孤独さは母親を蝕むのも事実である。生を育むという大きな仕事は何にも変えがたい。だが子育てに対して、主婦の役割の重さに対して、周囲からの理解を得にくい社会に私たちがいることも事実だ。 そんな社会だからなのだろうか。 キャリアウーマンの女性の子育てを支援する運動が、同じ女である主婦たちから反対を受けたことがあった。一番子どもが母親を必要としている時期に、仕事に没頭するのは理解できない、そんな衝突が女同士の中であり、またキャリア組の女性は、社会で自分の生活の足を引っ張るのは、結局のところ、自分と同じ女だった、ということに気づかされた出来事だったという。 私は思う、独身で自分の好きな勉強だけをしている私の恋愛の話を、結婚生活に落ち着き、あるいは子育てに全身全霊で奮闘している友人が聞いたところで、それは本当のところは、耐え難いつまらなさだろう、と。 たとえ、互いの立場が変わったとしても、どちらかが妻になり母になったとしても、変わらない友情というのは、互いに尊重し合い、認め合い、互いの人間というものが「好き」ならば、自然とできるものだ。あやふやな友情関係なら、そうした立場の変化で、いとも簡単に消滅するだろうけれど。 そんな友人がいるだろうか、と思うとき、少なくとも私には、心許せ、互いの人生の出来事について、心から感じあい遠慮なく話せる、立場は違うけれど、根本の個の立場に揺るぎのない、ママになった素敵な友人がいることを想い、ほっとするのである。 #
by miraclemichi
| 2006-03-12 11:17
| lecture (読書)
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by miraclemichi
| 2006-03-10 18:04
| lecture (読書)
幾重にも重なる山間(やまあい)の先に
小さな希望があるのだとすれば その山々が聳え立ち 織り成す影の なんと美しいことか 山々の立ちはだかりが その影の裏側の光を 輝かせているようで 私は一歩を踏み出す衝動に 飲まれた #
by miraclemichi
| 2006-02-05 11:34
| poeme (詩)(小説)
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