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コトバが発したいのに、何も表現できなかったら・・・
どんなキモチだろう、 よくそんなことを考えます。 今、言語発達遅滞に関する書籍を集中的に読んでいます。 生まれたときから自然としてきたコトバの発達が、実は非常に困難で苦しんでいる人たちがいることを知って、 もし、今のこの気持ちを何も外側に表現できなかったら・・・ と考えると、どれだけ苦しいだろうか、あるいは、疎外感や孤独感を感じるだろうか、と思います。 赤ん坊のころからそのハンディを持っていれば、自由に意思を表現できる状態を知らないのだから、その苦しさが、「言葉で相手に気持ちを伝えられない」ことからくる苦しさである、と明確に自覚していない場合もあるでしょう。自分の中で収集できない、出所が分からない怒りや苛立ちを抱え、周囲の大人に暴力的に当たり散らすケースもあるそうです。周囲への意思疎通を絵などの代替コミュニケーションによって定着させたことで、そうしたヒステリックな症状が治まったケースもあるそうです。 あるいは、また、自分と他者が「共感」するという、コミュニケーションの原点から、障害のある場合、その「共感」を獲得してもらうことが、言葉の発達の前段階として必要なことだそうです。 動いている車を見て、母親の目を見て、車をまた見る。その子供の視線の先を、母親が追い、「ブーブー走ってるねー」と母親が語りかける。その語りかけに、うん、と子供が答えるとき、子供も母親も、心が通い合う「共感」「愛情」を感じるから、言葉で更にコミュニケーションしたいと思う。このように、ことばを交わすとき、会話に参加している人たちが、同じ対象に注意を向けることを「共同注意」と呼びますが、視覚的共同注意の能力は、生後6ヶ月前からみられ、自分・他社・物の「三項関係」が成立する「共同注意」は生後6ヶ月ごろから始まるそうです。 視線によって生まれる共感、ことばなんていらないくらい愛情を感じる瞬間って、恋愛でも、そういうときだなぁと思います。男と女は、長く夫婦していても、言葉できちんとコミュニケーションしないと相手のことが分からないと言いますが、恋愛初期の有無を言わさず好きな時期って、なんだか視線だけで共感して、深い愛情を感じ、「この人だわ!」と想っちゃう、みたいなこともあります。 ちょっと脱線しましたが・・・ 共感、叙述、欲求、質問、応答、命名欲求 この発達の指標のもうひとつに、視線による共同注意の出現以外に、「指さし」があるそうです。指差しは生後11ヶ月ごろに増加傾向が見られ、15ヶ月ごろにはさらに増加するとのこと。ことばによるコミュニケーションの発達に反比例するように、生後21ヶ月ごろには、指さしは減少へと向かいます。 相手に伝えたい、自分に注意を向けて欲しい、そうした欲求が指さしを発達させ、やがてことばによるコミュニケーションで意思を表示できるようになると、指さしは不要になっていく。 欲求を伝えられない、共感を伝えられない苦しさは、どれほどのものかと思います。 外国に行って、外国語ができないがために感じる、疎外感なら、私も経験があります。しかし、障害があるがために、うまく音を作れなかったり、あるいは四肢の障害による運動能力発達の遅れで言語にも遅れが出て、しかも周囲にその理解への糸口を掴む人がいない場合には、母語からの躓きとなり、他者との共感関係を確立する手段を持たないという、大変なハンディです。 少しでもコミュニケーションへの糸口への助けができたら、そんな想いで言語障害学の独学を去年の9月からはじめました。言語障害や発達心理学に関して、専門的に教授してくださる方が傍にいないのは大変ですが、なんとか独学で、今年、何らかの形で、自分にもその方面への社会参加ができたら。 今年の目標。
by miraclemichi
| 2006-01-01 23:17
| langage (コトバetc...)
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