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陽光の窓際で てんとうむしが
おかおを あらっていた ちいさなお手をふりあげて てんとうむしが おかおを あらってた 日向ぼっこしてる 白いねこが おかおをあらっていた ちいさなお手をふりあげて 白いねこが おかおを あらってた 北風がやむのは お日様のおかげ きもちがほかほかなのも お日様のおかげ #
by miraclemichi
| 2005-12-08 20:19
| poeme (詩)(小説)
モルディブに2年半暮らし、一番良かったことはなんだっただろうか、と思う。
岡真理さんのこの「彼女の『正しい』名前とは何か」は、イスラム教者の間にある性器切除の伝統を、伝統でないとする先進諸国のフェミニストと、第三世界という部分に位置する当事者の女性たちを取り巻く問題を提起している。岡さんの著書は、決して性器切除を肯定していない。むしろ、批判している。批判していかねばならぬもの、として読者に問題提起をしている。そこで問われるものは、批判するものの「位置」であり、私たちがそれをいかに語るか、その批判のあり方が問われている。 岡真理さんのこの著書を読み、私も日ごろ感じていた女性の「肉体」に対して思うところがあった。つまり、女性の「美」を取り巻く文化に関してである。長く海外にいた自分が、日本に帰ってきて感じたこと、それは社会における女性の美の「同一化」の流れの大きさである。女性の美しさに対する画一化された社会、つまり、グラビアアイドルがネットや新聞・雑誌、あるいは公共の電車の中でさえも氾濫し、胸の大きさからウェストの細さまでどれもが画一化され、男性の娯楽となり、時に道具となる。 海外にいけば、価値観の違う社会、たとえば、スリランカなどでは、女性はふくよかなほうが良しとされ、日常きる腰巻が似合う女性は、腹が出ている女性とされている。そうした価値観の違う社会から、突然日本に戻り、街を歩く女性がガリガリなのを見て、美しいと感じられない。 しかし、長く日本にいると、そのガリガリが当たり前になり、洋服が似合っていいじゃない、と思うようになる。そうなれば、エステの広告も気になるようになる。しかし、同時に、細身エステがいかに馬鹿らしい商業行為であるかを見抜く力が必要だと感じる。一歩後ろに下がって見ること、雑誌の中の女性が、モデルが、女優が、きれいだからやる、というプレッシャーに何の価値があるのだろうか。きっとそれぞれに、それぞれの美しさがあるはずだ。 自分が望む肉体を手に入れる、そのために努力をするのは、精神面も含め、女として必要かもしれない。だが、不可能である域、たとえば生まれもってのバストを2カップも大きくするとか、短い足を長くするとか、自らが本来持っている魅力を無視してまで、私は肉体改造することには、そこにはすでに、自分の意思だけではなく、広告戦略に踊らされ、社会が理想化(商業目的に)した肉体へひた走る「醜さ」ではないの?と思う。内面の美しさとは自分の努力(勉強なり運動なり)で自分に自信をつけて磨かれいくもの。私は年を重ねていくことは宝だと思えるように最近なってきた。それは96歳で他界した祖母の死に顔があまりに美しかったのを見たときから芽生えた感情である。年齢が上に行くほど、若さで隠してきていた内面は隠せなくなる。同級生の間の年の差が広がっていく。以前よりシワが増えていくのはいやなものだ。でも、そのシワを誇りに思いなさい、と祖母は言ってくれた。自信に変えるだけの努力をして、20代のころには持っていなかった内面の技術なり知識なりを徐々に増やしていくことができる。 エステの身体改造にしがみつけば、社会の情報に流され続け、自己が揺らぎ続け、なんとモロい心になっていくだろうか。豊胸手術を受ける女性の自殺率はそうでない女性より高いというのも事実である。 また、性器切除という、体の一部を削ぐことは、人権の侵害だと批判する先進国日本に生きる私たちの社会にも、「脂肪吸引」で死んでいく女たちがいる。痩せることに憧れて安易に手術を受け、事実命を落としている人がいるのに、しかしその安全性はそれほど疑われる風潮にない。イスラムの男は女性を虐待していると批判をする先進国の社会でも、レイプ・殺人・ドメスティックバイオレンスは社会問題だ。 こうした社会に生きるわれわれ、特に女性自身が、いとも容易くアフリカやイスラム教の女性人権侵害を「先進国→第三世界」という構造の中で批判する恥ずかしさについて、改めてこの本は目を開かせてくれた。 #
by miraclemichi
| 2005-12-06 22:01
| lecture (読書)
何年ぶりだろう。3年以上は食べていなかったすき焼きを父が作ってくれた。
4000円もする牛肉に思わずうなった。 今年の秋、日本へきたモルディブ人の教え子に、日本で何が一番美味しかった?と聞いたとき、すき焼きが本当に美味しかった、と嬉しそうに話していたことを思い出した。 モルディブでは、牛肉はあっても、正直、ひどく硬い。料理の技を持ち合わせない私は、ほとんど鶏肉しか食べなかった。 もともと、すき焼きって日本の料理なの?そう父に聞くと、もともと日本人は牛肉を食べなかったから、明治維新以降だろう、とのことだった。それまでは、牛は農耕に大切な動物で、また、仏教の殺生の教えも影響して、食べるなんてもってのほか、という風潮だったようだ。文明開化の名のもとに、すき焼きの歴史も始まったのか、と思い、ちょっと調べてみたら、こっそり食べてた人は江戸時代にもいたようで、すき焼きの原型は江戸時代に生まれたそうだ。 殺生、時々考えます。食べなくても生きていけるものって多い。 大学時代、イギリスにホームスティに行ったとき、ちょうど狂牛病でイギリスは毎日すごいニュースになっていて、野原に無数の牛たちが並べられ、焼き殺されていく映像を見た。無残でむごく、ショックで、あぁ、自分も動物を食べている、と思った瞬間から、私は一切肉を食べられなくなってしまった。その後も理屈なしに生理的に受け付けなくなってしまった。約2年、肉を絶ったが、結局、体の体質が変わってアレルギーが治まらず、肉をとるようにまたなった。 肉を摂るようになってから、今度はアメリカの菜食主義者センターで3週間過ごす機会があった。生まれて初めて、生のジャガイモを食べ、楽しめる食事を懐かしく思った。菜食は好きでやる分にいいけれど、強制させられると苦痛だ。残念ながら、そのセンターには、自分の信念しか信じない菜食者しかおらず、その息苦しさに2週間目に私は日本へ帰国してしまった。迎えにきた母が、空港で痩せた私を見てびっくりしたと今でも言う。ちょっと汚い話になってしまうが、お通じも、あのセンターにいた間に劇的に変わり、腸はちょ~楽チンだったのではないかなぁと思うが・・・しかし、何事にも「寛容さ」は必要だと思った。ゼッタイを信じることに私はアレルギーを起こしてならない。 #
by miraclemichi
| 2005-12-05 22:59
| tous les jours (日々)
ついこの間、フランスで移民の若者たちの暴動が止まらずニュースになった。欧州諸国へフランスの暴動は伝染し、オランダなどでも大きな問題となった。
この本は、コスモポリタンの国イギリスで起きた移民をめぐるコミュニティの葛藤・奮闘、そして行政の取り組みをリサーチした本で、特に移民の子供の教育に興味があって買った。 でも、この本は高かった。300ページで4300円。 それでも、買ってよかったと思うが、誤字脱字が多く、少しガッカリしたのも正直な感想である。内容がいいだけに出版社がもっとちゃんとチェックしてあげればいいのに、と思うのは私だけだろうか。 #
by miraclemichi
| 2005-11-30 22:10
| lecture (読書)
大学時代、ゼミの担当をしてくださった恩師に、今日7年ぶりに会うことができた。卒業して以来、初めてお会いした。
駅まで、ご主人が運転する車で迎えに来てくださった。先生は、全然変わらず、本当に7年経ったのだろうか、と思った。 先生のお宅でお昼をご馳走になる。ビールやワインも出してくださり、本当に素敵なお昼だった。お孫さんのために作るという「ジジスープ」(じぃじぃスープ?)は、ご主人の定番になっているとのこと。幼いころ、祖母が遊びに行けばコーンスープを作ってくれたことを思い出し、スープの温かさがとても印象に残った。 #
by miraclemichi
| 2005-11-14 21:59
| tous les jours (日々)
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